お話をいただいた時、正直とても複雑な気持ちだった。
6000円という値段にも違和感を持ったし、
必要なものを、必要な分だけ作るという考え方で活動してきたので、いきなり2000足製造するということに現実味がなかった。
大学を出てすぐの頃だったり、それこそ学生時代だったら、なんの疑いもなくまっさら気持ちでとりあえず挑戦したい!と思っただろう。
私が大学を卒業し、日本に帰国したのが26歳のころなので、気がついたら9年の社会人生活(と言えるものかはわかりませんが。)がすぎていた。
その間に新しいものを作る苦労や、他企業とのコラボレーションの難しさ、そして何より、Loperはもともと代表五十嵐、オランダ時代の同級生のRoderck、と私の三人で始まったプロジェクトであったことも私の迷いを助長している。色々な経緯があり今はproef社内で運営している。このことについても、いつかここに書きたいと思う。
一緒にお取り組みをしたいと言ってくださったのが商社であるということも気になった。マーケットにある流行っているものを持ってきて、似たようなものを作って売ることと、新しいものを作り出すのはプロセスが全く違う。
私が大学に入る前に、世の中のほとんどのデザイナーの仕事は、前者であるということなのかもしれないと、就職活動している気になって企業のデザイナー求人を見ていて気づいた。
せっかく苦労して勉強したのち、人生の大半を利益を追い求めてコピー商品を作る人生は嫌だな、と思って海外に行った。
日本にいて、大学やら専門学校に行って、就職してのルートには今見える最悪の選択肢以外ないようにかんじたからだ。
初めて海外に移住した18歳の頃は、ロンドンに一年ファインアートと、テキスタイルの勉強をした。その後、アジア人すらいないオランダのアーネムに行った。
なぜ、オランダだったのか、よく聞かれるが、オランダでは、靴を、ファッションや工芸ではなく、プロダクトデザインの一部として扱っている。
クリエイション=社会貢献という考え方が根底にあるように感じたからだ。
アートやデザインは、より良い社会を作るツール。そう考えると靴にできることはまだまだあるような気がしていた。
今でも、世の中にはこんなにいろんなものが溢れているのに、これ以上ものを作る必要なんてないのではないか。
そんな風に考えてしまうことも多い。実際、人間のエゴで、必要以上に作りすぎていることは悪だ。
だけど、きっと何か今の時代だからこそ、人の笑顔を作ることができる何か、を創造する必要もあるはず。
そして転機のタイミングには、必ず新しい人との出逢いがある。
話がだいぶ脱線したが、上手にやらなければ、苦労して作り上げた末に、資金のある会社に全部持って行かれるんじゃないか。
そもそもゆっくりでもいいから、自分たちの資金で進んだ方が長期的に見ていいのではないか。
うまい話には裏がある。簡単に乗らない。
そんなマインドが身についていた自分が、少しは大人になっている気がして驚いた。
一度担当の菊池さんと、大谷さんと三人でzoomで打ち合わせをした。
菊池さんは終始、ニコニコ笑っていて、しっかり話を聞いてくれた。
proefのリスクになることは一切しないと約束をしてくれた。
こんなにうまい話はあるのかなと悩む暇もなく、自分の脳みそはこんなものを作りたい、こんな風にしたい、そんなアイデアが溢れていて、企画書を作った。
とっても楽しかった。
以下が、最初の打ち合わせ後に、こんなことをしたい!とう思いをまとめた企画書です。